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2002年ワールドカップを争っていた1995年のこと。訪問した東京と広島で両手に余るほどのお土産(ボールペン・キーホルダー・ワッペン)を貰った。品物には全て「World Cup 2002 in Japan」と印刷されていた。一方で、同じ招待旅行でも韓国を訪れた記者は、日本とは全く違うプレゼントをされていた。ボールペンやキーホルダーなんてものじゃない。高価な品々はもとより、連日のパーティーや酒盛り、挙句の果てには女性まで用意されていたのだ。全ては招致活動を指揮していた鄭夢準の指示だった。彼らはこうやって海外記者の歓心を買おうとしたのだった。私はこういう汚い手段を徹底的に憎む。ジャーナリストに対する行為で、もっとも卑劣な行為ではないか。アルコールで酪酊させ、(女性提供の事実で)相手を脅迫するー。私が長年、アジア・サッカー界で最も権力を持つ人物を国際的メディアで批判し続けてきたのも、ここに理由がある。鄭夢準はこういう事があって、私をソウルでのワールドカップ開催式とFIFA総会から閉め出そうとした。彼はフランツ・ベッケンバウワーとDFB(ドイツサッカー連盟)会長に、私の取材を禁止するように要請する書簡を送った。しかし、ベッケン・バウワー氏もDFB会長もこれを一蹴。逆に、鄭夢準に警告を送ったのだが、わたしとしては彼との対決はむしろ望む所でもあった。出るところに出て争えば、鄭夢準がいかなる手口でサッカー界の権力を握ってきたか白日の下に晒す事ができたからである。
こうやって、日本は史上最低のワールドカップの片棒を担がされた訳だ。
それにしても韓国はこの手の交渉といい、外交といい、同じ手口を使うんだな。
これが韓国人のデフォルトなんだろうな。
ソース元→ENJYO Korea
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